2000年に、店主でありデザイナーでもある丸川竜也が、東京都でデザイン事務所を立ち上げ、2006年に、自分達でデザインしたオリジナル商品を販売するために「丸川商店」の屋号で小売業をスタートさせました。三重県の伝統工芸「松阪木綿」や「擬革紙」などを使った商品や、オリジナルの「伊勢うどん」など、様々なオリジナル商品の制作と販売を行っております。
ものづくりのすばらしさを教えてくれたのは、父でした。
「ものづくりの原点は?」とよく聞かれます。原点と言われて思いつくのは小学生のとき。明日の授業で、手持ちのキャンドルスタンドを持っていかなくてはいけないことを両親に話したとき、すでに夜だったので、「今頃言っても用意できない」と言われ、早く言わなかった僕が悪いんだけど、それでも納得できずに、泣いて、ごねて、両親を困らせたことがありました。明日、学校で、ひとりだけ恥ずかしい思いをすることに、不安と悲しさがどんどん沸いてきて、泣き疲れて眠るまで、大声で泣いていました。
実家の家は、トイレとお風呂が別棟にあるという、典型的な田舎の家です。いつもは眠る前にちゃんとトイレに行っておくのですが、泣くのに忙しかったことと、僕の部屋は2階にあって、トイレに行くには、両親がいるであろうダイニングキッチンを通らなければならないこともあって、その夜はトイレをせずに眠ってしまいました。ですが、案の定、夜中の12時頃にトイレに行きたくなって起きました。仕方ないという気持ち半分、もう半分はすでに寝ぼけていたこともあって、すんなりとキッチンを通り、ドアを開けて別棟に向かいました。その時、敷地内の倉庫で、父が一人、かなづちで何やらコンコンドンドンやっています。仕事の何かだろうと思い気にしませんでしたし、「今頃言っても用意できない」と冷たくあしらわれたことで、多少の怒りもあったので、トイレだけ済ませて、さっさと2階へ戻りました。
夜が開け、目が覚めると、今日、学校で起こる悲惨な状況を想像して、かなりへこみながら1階へ降りていきました。すでに父は仕事に出かけて留守でしたが、キッチンのテーブルに、なにやら見慣れないものがあります。それは、父が仕事で使う「銅版」で作られた、手作りのキャンドルスタンドでした。「そうかあ、昨夜のコンコンドンドンは、これを作ってくれとったんやあ」 。子供の僕でも、それはすぐにわかりましたし、それはもう、「感動」の一言です。ピッカピッカに、神々しい光を放つそれを見て、僕は一気に有頂天。はしゃぐわ、笑うわで、母親に叱られます。でも、そんな事は気にしません。さっきまで、あれほど学校に行きたくないと思っていた僕は、早く学校に行きたくてたまりませんでした。学校に行ってみると、実際にキャンドルスタンドを持ってきていたのは、クラスの3分の1だけ。それはそうです。田舎の家に、そうそうキャンドルスタンドなどというシャレたものなどあるはずもありません。あるとすれば、仏壇にある「ロウソク立て」くらいのものです。でも、僕は違います。僕はまるで、それで変身でもする気なのかというくらいに、自慢のキャンドルスタンドを、高々と掲げました。クラス中のみんなが「すごい!すごい!かっこいい!」と騒ぎ、先生までも「これはすごい!見事だなあ。」と感心しきっきり。僕の有頂天は、すでに太陽系を超えていました。あの時のクラスのみんなと先生の感嘆の声と驚きの顔と賞賛の嵐を、今でもはっきりと覚えています。
父が家に戻ってきたとき、僕は玄関まで走っていき、今日起きた、僕のスーパースターなサクセスストーリーを、つたない言葉で、しかも猛烈なスピードで話しました。父は小さな笑顔で、「はいはい、よかったなあ。俺は疲れとんねん。ごはん、ごはん。」と言って、キッチンへ向かいました。きっと、父も、嬉しかったのではないでしょうか。残念ながら、今、そのキャンドルスタンドは残っていませんが、父は、県の技能大会で何度も優勝している、腕のいい瓦職人です。僕はあの時に、「もの」を作って、それで誰かを幸せな気持ちにさせることのすばらしさを教えてもらいました。本当にろくでもない息子ですが、彼の息子に生まれたことを心から誇りに感じた、人生で最初の経験だったと思います。
今、僕はものづくりの世界にいます。父のような一級品の職人にはなれませんでしたが、それでも僕は僕なりの表現を追及していきたいと思っています。そして一人でも多くの人を笑顔にできる作品を作っていきたい、言うなれば、父が夜を徹して作ってくれたあるキャンドルスタンドに、僕がデザインしたキャンドルを立てて、その光で人を笑顔にしていく。そんなものづくりの活動が出来れば、こんなに幸せなことはありません。
丸川商店という屋号は、僕のおじいちゃんが営んでいた、駄菓子や日用品を売るお店の名前でした。僕の父は、その商売を継がなかったかわりに、屋号だけは引継ぎ、丸川商店の屋号で、屋根工事の会社を始めました。そして僕も、屋根工事の会社を継がなかったのですが、どうしてもこの屋号だけは引き継ぎたいと常々考えていました。つまり僕は、丸川商店の屋号を継いだ「3代目」ということになります。
今後は、地元三重県の魅力を伝えられるデザインの活動を広げ、少しでも故郷への恩返しとなれば、と思っています。広い世界へ飛び出したいと、地元を離れた僕が、今では三重県の自然に夢中になっている。自分でも大変不思議ですが、この心や感覚の変化が、最近では楽しくて仕方がありません。
丸川商店 店主
丸川竜也
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